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映画『ヒトラーの贋札』を見てきました。


★★★★☆
 物語は、いきなりネタバレから始まります。
 第二次大戦直後のヨーロッパ。
 ある男は鞄から大金を取り出し、高級な服などを買いそろえ、ぱりっとした身のこなしで、颯爽とカジノに向かいます。しかしその表情は物憂げでうつろ。
 カードゲームで役を揃えながらついこの間のような昔の出来事に思いをふせるのでした。   
 場面は変わり、第二次世界大戦のさなか。
 ニセ札作りのプロ、サロモン・ソロヴィッチ(通称サリー)は極悪犯罪人として指名手配され、当時一介の捜査官だったヘルツォークに捕まってしまいます。
 重罪を覚悟したサリーでありましたが、その贋札作りの腕を買われて、ナチスの極秘プロジェクトのリーダーとしてユダヤ人強制収容所の一画に連れて行かれます。
 そこでは、敵国イギリス国内経済に打撃を与えるため、大規模なニセポンド札の製造に着手しようとしていたのです。奇しくも責任者は、自分を捕ま えたヘルツォークが親衛隊少佐として現場を仕切っていました。そして、各地の収容所から印刷技術の専門家のユダヤ人をかきあつめていたのです。

 塀の一枚超えて、外ではサリーの同胞たるユダヤ人が毎日当たり前のように惨殺されていました。けれども贋札作りに関わるユダヤ人たちは、柔らかなベッドやまともな食事が提供される"破格"の待遇を受けました。
 その対比のなかで、のちにサリーに過酷な決断がのしかかります。
 贋札作りは英ポンドで実績を出して、このまま贋札を作り続ける限りは、彼らの命も生活も保障されていたのでした。
 しかし戦況が悪化して外貨不足になっていたナチスのもとで大量の贋札を作り続けるのは、それだけ家族や同胞の生命の危機を長引かせ、犠牲者を増やすことを意味していたのです。
 それゆえ、同胞を守りたい正義感から意図的にサボタージュして、贋札の発行を妨害しようとする者も出てくるのです。けれどもそれは、命の危険を伴うものでした。
 贋札の大量発行を迫るヘルツォークは期限までに作製しないと、チームのユダヤ人を5名も殺すと通告したのです。
 方や同胞を守る大義を説くものと、命の危険にさらされたものとの間に板ばさみになったサリーの苦悩は見ていているほうも痛々しかったです。

 結局サリーたちは、抵抗はしたものの、ナチスに協力した事実はぬぐえ切れません。む 冒頭の散財するある男の刹那ない表情は、どうもこのところ と関係あるようです。その男の虚ろさにあるのは、あぶく銭をどんなに使っても満たされないのか、はたまた悔悟の思いが募るのか、大金持ちにしては哀愁たっ ぷりでした。

 ルツォヴィツキー監督は、早めのカット割りでテンポ良く筋を進めて、重くなりがちな収容所の話を、サクサク見られる話にまとめています。
 そしてサリーたちが自分たちの命と引き替えにナチスに協力したことの是非に一切主観を入れていないところが押しつけがましくなく良かったです。
 サリーたち囚人の群像もひとりひとりの立場、演技上の役割を明確化して、すごく解りやすいドラマになっていました。アカデミー賞を取るだけに、なかなかの傑作です。
 贋札作戦は、ドイツのスパイの視点から語られる著作が多い中で、この作品は初めて贋札作りに関わったユダヤ人の視点から描かれたことに意義があると思います。

 なお、この贋札作りは、「ルンハルト作戦」と呼ばれる実在の事件がモデルになっています。実際にオーストリアの湖岸から贋札が発見されていて、贋札作りにかかわったユダヤ人が書いた原作を元に映像化しています。
 エンドロールの最後でも、その経緯が触れられるので最後まで見てください。

●Introduction
第二次世界大戦中のドイツ。ユダヤ人強制収容所の一画に、各地から集められた職人たちが働く秘密工場があった。パスポートや紙幣の偽造で逮捕され たサリーは、そこでかつて自分を逮捕したヘルツォークが、大量の贋ポンド紙幣をばら撒き、イギリス経済を混乱させる目的の「ベルンハイト作戦」の指揮を 執っていることを知る。作戦が成功すれば家族や同胞への裏切りになる。しかし完成できなければ、死が彼らを待っているのだった…。

「ナチスによるユダヤ人収容所もの」はたびたび映画化されているが、本作は一般にはあまり知られていない、紙幣偽造作戦に携わっていたユダヤ人技 術者たちを描いた異色作だ。苛酷な環境下に置かれ、死がそこまで迫っている一般収容所に比べ、この秘密工場での待遇は破格といえるほどいい。しかしその裏 には、死んでいく家族や同胞がいる。ナチスへの協力の負い目と、「生きたい」という思いの矛盾の中で、男たちはさまざまな行動をとる。孤高の犯罪者が仲間 を救うために完璧な贋札を作ろうとする一方、正義感から仲間を危険な目に陥れてしまう技師もいる。究極の選択を迫られる人間たちを描き、自分ならどうする かを観客に考えさせる作品だ。
[ 2008年1月19日公開 ]
※6月6日(金)まで、早稲田松竹で上映中



映画『山のあなた 徳市の恋』試写会に行ってきました。


★★★★★
 石井監督が、盟友の長尾監督(アルゼンチンハバアなど)から、清水宏監督の『茶の味』を観るよう勧められたのが4年前のことだったそうです。
 『茶の味』のなかで、自分が目指す演出方法との接点を見出したとか。その接点とは、 
 まずは、人の目の高さにカメラを据えたアングル、
 自然光を活かしたロケーション映像、
 登場人物のナチュラルな描き方、
 時間経過を示すだけでない風景の挿入、
 画面に漂うリアルさ・・・etc。
 それらですっかり石井監督は清水監督の虜になったそうです。

 清水監督に惜しみない敬意を払い、リメイクでなく、完全カバーとして完成したしたのがこの作品です。
 そのこだわりは、全シーンを石井監督が全部絵コンテにして、デジタルインポーズし、カット割りや所作、立ち位置がオリジナルと同じになるよう復元するという徹底ぶりでした。
 
 出演した草彅がもっとも好きなシーンにあげた冒頭の山の温泉場へ赴くシーンは、新緑の萌えるような緑の山道の映像が大変美しく、山のオゾンが香ってくるような映像でした。同じく緑の多い『西の魔女が死んだ』に負けないくらい癒される映像です。

 映像美だけでなく、長回しを多用したオリジナルを踏襲し、ゆったりとした独特の間を作り上げています。そのため台詞も聞きやすく、そんなに画面に集中しなくてもスジについて行ける作品になっています。
 この作品には堤真一も出演していますが、彼が主演する7月公開の『クライマーズ・ハイ』でこの作品を比べると、同じ俳優でも台詞の聞き安さに天地の差が出ています。
 現代の邦画作品はアップテンポのものが多く、カット割りも短めで、セカセカした作品が多くなっているのではないでしょうか。そんな作品に慣れ親しんでいる映画ファンにとって、清水監督の長回しの世界はホットさせるところがあります。

 印象に残った点として、やはり草薙が盲目の按摩徳一になりきっているところです。すごく説得力のある演技でした。半目の目つきですたすたと歩く演技は怖くなかったのでしょうか。

 それと、『見えない目で、あなたを見つめていた』という映画のコピーですが、実際に台詞として画面に出てきたとき、その意味の深さに思わずジーンとなりました

 また、監督も好きなシーンとしてあげていたのが美穂子と徳一が温泉街ですれ違うシーンなんです。このシーンは清水監督も思い入れが強くあったようなのです。徳一の美穂子への思い入れの強さとそれをからかい気味にかわす美穂子の色気を感じました。やはり見所ですね!
 ちなみに、この温泉街は1/2スケールの模型だそうです。VFXで人物と背景を合成しているようなのです。最先端の映像技術と古典的演出がコラボして不思議な光景を生み出しているなと思えました。

 さらにラストの徳一が美穂子を問い詰めるところでは、長い台詞の応酬が続きますが、二人の熱演に、ああこれが映画の醍醐味なんだぁと堪能しましたよ(^。^)

 あと、研一役に出ている広田亮平クンの悪ガキぶりもなかなかでしたね。よいこは、研一みたいに、盲目の人の鼻に鼻紙を丸めたこよりでこちょこちょして、クシャミさせるなんて真似は止めましょう(^^ゞ

 最後に、盲目であることからその所作に思わず笑ってしまうシーンもありました。けれども原案を考えた清水監督は、「自分はすごいんだぞ」と何度も徳一に語らせて、健常者に負けない自立した障害者の姿を温かい目で見つめているのではないかと思えました。

●Introduction
新緑の季節。目の不自由な按摩の徳市と福市が、山の温泉場に向う道を歩いている。彼らは前を歩く人間の数や性別、どこから来たかをかぎ分けられる 鋭い勘の持ち主。その彼らの横を1台の馬車が駆け抜けていく。馬車には東京から来た女性・三沢美千穂、大村真太郎、真太郎の甥・研一が乗っていた。徳市た ちが温泉場の按摩宿泊所に落ち着くと、宿屋・鯨屋から呼び出しがかかる。徳市が療治に向うと、お客は美千穂だった。

『鮫肌男と桃尻女』『PARTY7』で独自のエンタテインメント世界を作り上げてきた石井克人監督が、日本映画史に残る名匠・清水宏監督が 1938 年に発表した佳編『按摩と女』を完全カバー。主演の徳市には、SMAPの草なぎ剛。『黄泉がえり』『日本沈没』などを大ヒットに導いてきた彼が、本作では 盲人という難役に挑戦。徳市の相棒・福市を演じるのは『それでもボクはやってない』などで実力を発揮した加瀬亮。徳市が想いを寄せるヒロイン・美千穂に は、CMなどで注目を集める美形モデルのマイコ。さらに、日本映画界を代表する実力派俳優が集結。脚本は、清水宏が書いたオリジナルをほぼ忠実に使用して いる。(作品資料より)

[ 2008年5月24日公開 ]



【史上空前の大傑作!】映画『ザ・マジックアワー』試写会に行ってきました。


★★★★★
 まずは本日の試写会の模様から。
 まずは司会からして、フジテレビアナウンサーの福井謙二が担当するという豪華版。

 何度も試写会を行っているのにも関わらず、この日も三谷幸喜監督は主演の佐藤浩市を従え、「日々、宣伝活動にいそしんでおります『ダブルコウちゃん』です」とご機嫌で登場、挨拶しました。
 これまで監督と佐藤浩市は、親しく会話することもなかったそうなのです。ところが、全国キャンペーンを行ううち、意気投合したとか。年齢が近いこともあり、今ではすっかり仲良しになったそうです。
 でも、福岡キャンペーンの打ち上げのエピソードでは佐藤が苦笑する場面も。
 福岡では、2人で飲み明かししたとき、三谷監督は「佐藤さんは熱い役者さんで、一晩中、演技論や映画論を聞かされた。」とまでは良かったのです が、最後に「うざかった」と本音をわざとポロリと漏らしたとき、思わず佐藤が「えっそうだったんですか」と聞き返して驚き、会場の笑いを誘いました。
 そのとき二人で食べた「焼きラーメン」が、佐藤にとって最高の思い出になったそうです。

 また作品については、「僕自身が“こういう映画が見たかった”というものを作った。今までの日本映画にない、新しいジャンルのコメディになったという気がする」と、三谷監督は自画自賛した。相当に自信作のようですね。

 ところで舞台挨拶ばかりでなく、上映後にも三流役者村田大樹が登場!彼独特の言い回しで、監督の質問に答えていました。
 千枚刺しを「猟奇的な顔で舐める」という台本のト書きには、自宅で鏡の前で練習したとか。
 「猟奇的な顔で舐める」とト書きに書き込んだ三谷監督自体、どんな顔か分からなかったので、それを「演じた」村田大樹も、いろいろ表情を研究したそうです。
 また素顔で出ているのに変装していると言い張り、「マスクを取る」というト書きでも、何度も素顔なのにあたかもマスクをかぶっているポーズを研究したそうです。どの程度完成したかは、ぜひ作品上でお試しあれ。
 こんな難しいト書きも、余り考えず三谷監督はさらりと書いてしまうそうです。全ては役者を信頼しているからだと。そんなことをシャーシャーと言ってのける監督に、村田から戻った佐藤は苦笑い。それでもまた出たいと語っていました。
 
 挨拶だけでなく、この日は音楽を担当した萩野清子さんと共に三谷監督と佐藤浩市も参加したテーマ音楽のミニライブも披露。サービス精神旺盛な三谷監督ならではの試写会でした。


●作品の感想

  前作と比べて、喜劇ながらドタバタせず少し遅めのじっくりとした台詞回しで笑わせててくれました。こちらも実に聞き取りやすかったです。
 前作では、エンディングに向けて、すごいテンションで仕掛けた伏線が衝突し合いながら結末を迎えました。
 今回の新作では、いかに観客を楽しませるかというサービス精神で、表現者としてのテンションをセーブしているところに好感が持てました。

 そして三谷監督も人生の年輪を加えてて、この作品では結構深い人生の真理が述べられています。
 三流役者の感じた『人生の黄昏』と『マジックアワー』という言葉を掛け合わせているのです。

 ちなみに『マジックアワー』とは、映画の専門用語で、夕暮れのほんの一瞬のこと。太陽が地平線の向こうに落ちてから、光が完全になくなるまでの わずかな時間にカメラを回すと、幻想的な画が撮れると言われています。一日のうちで世界がもっとも美しく見える瞬間が『マジックアワー』と呼ばれていま す。

 あっという間に夜になって、逸してしまうのが『マジックアワー』。劇中の三流役者村田が感じていたのもこの悲哀でしょう。
 けれども三谷監督は、村田が憧れる往年のスターを登場させ、彼にこう語らさせるのです。『マジックアワーを取り逃がしたらどうする』って。そし てこうも語って、役者として絶望していた村田を励ますのです。『マジックアワーを取り逃がしたら、また翌日撮ればいいんですよ。だからあなたも頑張りなさ い』と。
 このシーンは喜劇なのに感動しました。きっと三谷監督は、この作品を製作するに当たって、夢破れて落ち込んでいるような人にも、希望を持ってもらいたいと願って着手したのだろうと思います。そういうヒューマンなところが、前回と違っているところだろうと思います。

 三谷監督がこの言葉を知ったのは3年前、『THE有頂天ホテル』のロケ先でのこと。夕刻の撮影中、空を見ていたカメラマンの山本英夫の口から出 た一言。「監督、マジックアワーつて知っていますかJ。三谷はその聞き憤れない言葉の着きと意味に見せられて本作の構想を練りだしたそうです。


 最後のオチは、あおりに煽っておきながら、意外な結末になって、いささか脱力感気味に。それでも試写会場は爆笑に次ぐ、爆笑で、ギャングと三流役者の勘違いした同志が、思い込んで吐いた台詞が不思議と合致して、双方納得してしまうところでは、巧みな
持って行き方に会場から拍手も起こりました。
 本編が終わっても、これまでの試写会では遭遇したこともないような長く大きな拍手に包まれました。
 毎度のことですが、ストリーテーリングの巧みさは、三谷監督ならではです。何気なく出ているシーンもあとから重要な前振りになっているので、一瞬たりとも見逃せません。
 詳しい作品紹介は省略して、四の五を言わず、まずは映画館でこの映画を観ていただきたいですね。絶対面白いです。

 追伸
 深津絵里さんが演じるマリがステージで歌うところが、とても色っぽくで印象的でした。アレならボスが惚れ直す訳ですな。


●Introduction
街を牛耳るボスの愛人に手を出してしまった手下の備後は、命を助けてもらう代償に、伝説の殺し屋デラ富樫を探し出すことを約束する。だが期日が 迫っても、デラは見つからない。窮地に陥った備後が取った苦肉の策とは、無名の俳優を雇い、殺し屋に仕立て上げることだった。こうして三流役者村田大樹 は、二つの組織がしのぎを削るその港町・守加護へとやって来る。すべてを映画の撮影と思い込み、幻の殺し屋になりきって…。

今や、日本のエンターテイメント界を代表する存在・三谷幸喜。大ヒットした『有頂天ホテル』から2年、満を持して贈る本作は、知らず知らずのうち に抗争に巻き込まれる売れない俳優と、映画監督のフリをして彼を操ろうとするしがないギャングの、友情と感動と爆笑の物語。お茶目でお馬鹿な愛すべき男・ 売れない俳優の村田大樹に、これまでのイメージをかなぐり捨てて挑む佐藤浩市。口から出るのはでまかせばかり、その場しのぎの小ずるい男・クラブ支配人の 備後登に、これまた新境地挑戦の妻夫木聡。そのほか、西田敏行、深津絵里、綾瀬はるかなど、主演級の役者達が勢ぞろいしている。(作品資料より)
[ 2008年6月7日公開 ]



映画『クライマーズ・ハイ』試写会に行ってきました。


★★★☆☆
 この作品は、一見JAL123便の墜落した事件を追う記者の物語に見えますが、むしろ事故原因に絡むスクープを記事にするため奮闘する地方の新聞社の人間模様を描いた作品でした。
 主人公の遊軍記者悠木和雅に言わせると、スクープをモノにすることは、登山の時に感じる「クライマーズ・ハイ」に似ているというのです。

 クライマーズ・ハイとは岩登りの際、興奮状態が極限まで達して、恐怖心がなくなる病気。そのまま登りきってしまえばいいが、登っている途中でクライマーズ・ハイが解けると恐怖で1歩も動けなくなるのです。
 この症状と同じく悠木ばかりでなく、編集部全体がスクープ目指して興奮状態が極限までヒートアップしていく姿がリアルに描かれていました。

 悠木がどうしてクライマーズ・ハイのことを知っていたか。それは悠木が勤務先の新聞社の山を歩こう会に無二の親友・安西と参加していたのです。
 その安西から誘われて谷川岳一の倉沢から衝立岩中央稜のロッククライミングに誘われていました。
 悠木が谷川岳に向かうべく安西との待ち合わせ場所に向かうとしたとき、日航機の墜落の一報が入り、そのまま居残りに。安西も病に倒れて、衝立岩のロッククライミングは実現されずじまいとなってしまいました。
 しかし悠木の心の中で、スクープへの闘志を燃やすとき、安西とともに衝立岩を這い上っている姿がイメージされていました。
 地方新聞には、全国紙と比べて圧倒的な取材力の制約があり、40年の社史のなかてで、ずっとスクープを抜かれっぱなしでした。例えば1985年 当時携帯でなくまだポケットベル全盛時に、全国紙や通信社は無線を使って現場からリアルタイムに緊急連絡できますが、悠木の新聞社は足を使って電話機を探 す記者根性が尊ばれていたのです。
 それ故能力ある記者は、全国紙に引き抜かれていくのが通例になっていたのです。しかし今回は地元で起こった大事件。地元紙のメンツにかけて全 国紙の連中に一泡吹かせてやりたい。通信社の配信記事を使うなんて地元紙として恥だと事件のディスクとなった悠木は意気込むのでした。
 けれども紙面を巡っては、勝手に広告を削ったことで広告局を激怒させ、校了時間を遅らせて、配達時間を期にする販売局が殴り込んできたり、さ らには印刷機のトラブルがあったりで、現場に体当たりで取材してきた記者の記事がなかなか活かされず、悠木も怒りを爆発されるのです。
 そんな報道を巡る社内の壁が、悠木には谷沢の衝立岩とオーパラップしていたのでしょうか。

 ちょっといい話として、悠木が全国紙にない地方紙の使命に気づくところが良かったです。社内のしがらみに思わずトップの記事を中曽根首相の靖国 初参拝(事故後4日目に参拝)への差し替えに承諾したとき、遺族が事件を報じた掲載紙を手に入れようと編集局に訪れます。あの遺族はなんでわざわざ葬儀の 合間にうちに立ち寄ったのか?うちだからこそ、事件のあらましが詳しく載っていると思ったのに違いない。遺族のためにも俺たちはやれるところまで、全国紙 が報じないことを伝えなければいけないのだと思いを新たにし、遺族をじっと見送る姿に感動しました。

 新聞社の内情を窺い知り、そこで日夜スクープを追いかける記者がどんな思いで、取材を続けているのか熱く語っている作品でした。

 撮影は、前橋の中心街のビルを丸々借り切って、新聞社に仕立て上げそうです。堤真一は泊まるホテルもロケ現場の真ん前だったため、一ヶ月そこへ缶詰になって、すごく集中したし、とても疲れたと試写会で語っていました。
 画面でも、クライマーズ・ハイになっていく悠木の姿に成りきって、アグレッシブな演技を見せています。

 御巣鷹山現場に向かった社会部のキャップを演じる堺雅人は、実際に山に登り、壁のように立ちはだかる急斜面で取材活動を行うところもこなし、 シャツはボロボロ、ヨレヨレになって下山するところを演じていました。普段穏和な役どころが多い彼の顔つきの険しさに注目ください。

 あと悠木と個人的な関係が取り沙汰されている新聞社社長白河を演じる山崎努も、嫌みったらしいワンマン社長ぶりを、いかにもという感じて好演しています。

 ただ惜しむらくは、台詞が聞き取りにくいこと。耳をダンボにしないとよく聞き取れないシーンが多々ありました。音声の収録方法もありますが、出演者の台詞回しが一様に早く、シーンが急展開するとき他の人の台詞とかぶってしまうので、聞き取れなくなってしまうのです。
 また、新聞業界の専門用語がまんま飛び交うので、話していることの意味がわからなくてぽかんとしてしまうこともありました。現場のリアル感も大切ですが、映画である以上観客に分かりやすく伝える工夫も必要でしょう。

 これは前作『魍魎の匣』でも同様でした。おそらく監督は自分の演出イメージが優先で、観客を置いてけぼりにしても、自分の表現をせっかちに映像化してしまう癖を持っているだろうと思います。

●Introduction
1985年8月12日、群馬県御巣鷹山にJAL123便が墜落、死者520人の大惨事が起こった。前橋にある北関東新聞社では、白河社長の鶴の一 声により、一匹狼の遊軍記者・悠木和雅が全権デスクに任命される。そして未曽有の大事故を報道する紙面作り—闘いの日々が幕を開けた。さっそく悠木は県警 キャップの佐山らを事故現場へ向かわせる。そんな時、販売部の同僚で無二の親友・安西がクモ膜下出血で倒れたとの知らせが届く…。

事故当時、地元紙の社会部記者として取材に奔走した経験を持つ作家・横山秀夫(「半落ち」など)が、17年の時をかけて書き上げた同名小説を映画 化。確固たる信念を持ち、冷静沈着に、時に激昂しながら報道人としての使命感で任務を遂行していく主人公を堤真一が好演、脇を固める俳優たちの報道人“な りきり” ぶりも注目だ。混乱する現場、苛立ちから感情を昂らせる記者とその上司たち、そして加熱する報道合戦を臨場感あふれる映像で一気に見せる。登場人物の緊張 や感情の機微をスリリングに描き出したのは、『突入せよ!「あさま山荘」事件』の原田眞人監督。セリフのぶつかり合い、めまぐるしいカット割—原田監督持 ち前の集団シーンは見もの。(作品資料より)
[ 2008年7月5日公開 ]



映画『チャーリー・ウィルソンズウォー』を見てきました。


★★★☆☆
 昨日『ランボー』が公開されましたが、圧政をやっつけるのは何もランボーのようなタフな戦士でなくとも、ヒーローになりうるもんだというのが本作品でのお話。

 1980年代、米ソ冷戦時代に、アフガニスタンでソ連を退却に追い込んだひとりの男がいたのです。その名はチャーリー・ウィルソン。大統領でも なく、タフな戦士でもなく、関心があるのはもっぱらお酒と美女。たまにイケナイ薬も少々というお気楽な下院議員であったのです。彼のオフィスの秘書ときた ら全員美女揃いで、“チャーリーズ・エンジェル”と呼ばれている始末。
 そんな彼がテレビのニュースでソ連軍の侵攻により、アフガニスタンの窮状を知り、とりあえずCIAのアフガニスタン秘密工作資金を倍増された ことから、だんだんこの問題に関わり合うようになり、ついには秘密作戦への大幅な予算獲得を実現し、作戦を見事成功させてしまう物語です。これ実は、実話 でして、原作本はベストセラーらなっています。
 チャーリーが変身していくきっかけとしては、有力支援者でもあり、美人セレブで、熱心な反共産主義者ジョアン・ヘリングの存在もあったからと も言えます。何せ金と女の両方にからしき弱かったですからね。彼女はチャーリーにアフガニスタンの現状を突きつけ、彼を立ち上がらせる推進力となりまし た。

 それからの展開は急で、いきなりパキスタン大統領と会談し、大統領から難民キャンプの視察を勧められます。
 難民キャンプで、チャーリーは、両腕がなくなった子供たちと遭遇します。ソ連軍は、罪のない子供たちまで、殺戮の対象としていて、オモチャによく似た地雷まで仕掛け置いていたのでした。ここてでランボーならずとも、チャーリーの正義感が点火します。 

 CIAの地元担当エージェントであるガストと組んで、予算獲得に奔走。
 ガストは切れ者でしたがギリシャ系ゆえに昇進できず、才能を持て余していました。チャーリーの熱意に心を打たれ、彼にソ連を撃退するための具体 的な方法を指南していきます。その結果、地元のムジャーヒディーン(のちのタリバン)たちに世界最高性能の米国製携行型地対空ミサイル「スティンガー」を 供与したのです。
 住民を無差別殺戮していたソ連の軍事ヘリが地元ゲリラたちに次々打ち落とされていくトーンは、喝采ものであったけど、その残った武器が世界中 にテロをまき散らす原因となったことは誠に皮肉です。もちろんアメリカ人はみんなそんなことは先刻ご承知で、やがて9.11の痛みにつながって行くことに なるわけだけど、チャーリーのクレバーなところはちゃんとそれを予見していたのでした。
 彼は、ソ連撤退後のアフガンに学校を作るべきだ。紛争遺児を放置していたら大変なことになっていくぞと警告するのです。しかし時の政府は冷戦の中で、対東欧政策ばかりに気を囚われて、チャーリーの提案などに聞く耳を持ちませんでした。
 それを受けてラストでチャーリーはささやきます。「やり方がまずかったんだよね」と。
 アフガン支援については、アメリカのご都合主義に国際的非難が集まっていますが、ソ連のアフガンにおける無差別殺戮から罪無き国民を救った事実としては、チャーリーを立てた作戦を責められるべきでは無いことが、この作品でよく解ります。
 当初の政策では、アフガンを捨て駒に、戦争の長期化で東側経済の疲弊化を狙っていたアメリカは、アフガン国民がどんなひどい仕打ちをされていても知らぬ存ぜぬを決め込んでいたのですから、どうしようもありません。
 ですから作戦自体はどんなにその後の展開に影響を及ぼしてもあの時点では、誰も彼を責められないでしょう。大事なことは、そんなチャーリーでもちゃんとやり方がまずかったと自己反省していることです。
 9.11テロ事件を境に、なにやらアメリカ全体が、プラス思考から軸足を反省モードに移している風潮に沿った台詞ではないかと思いました。

 長々とお話ししましたが、チャリーというオバカ議員の織りなすオバカ映画化と思いきや、その本質は今のアメリカの政治マインドを反映した、政治映画なんですね。

 平和を愛し、悲劇を見過ごせない正義漢でもあるチャーリーを、トム・ハンクスが熱演。“アメリカの良心”を演じさせれば右に出る者がいない彼に は、まさにハマリ役!と言えるでしょう。 嘘のような実話というけれど、チャーリーが以外と真面目でクレバーな議員だったのが、逆に残念。後半は、正義漢 に燃えるチャーリーになっちゃって、キャラ的にはつまらなくなります。実在のご本人の名誉はさておき、映画的にはもっとオバカな演出でも、良かったのでは と思います。

 映画化にあたって製作陣は、その時代やロケーションなどのディテールに相当こだわったそうです。モロッコで行われたパキスタンとアフガニスタン のシーンの撮影には、パキスタンのCIA責任者だった実在の人物が同行。ライフルの構え方や現地民たちが身につけるクルタ(アフガンのブラウス)など細部 まで再現できるように目を配ったそうです。物語はウソみたいなドラマだけど、考証を重ねて追求したディテールはとてもリアル!なんですね。


●Introduction
米ソが対立する冷戦時代、たった一人のの破天荒な男が世界を大きく変えていく、国際政治ショー。人生を楽しむのがモットーのお気楽政治家チャー リーが、セレブで反共産主義のジョアンとはみ出し者CIA捜査官ガストと組み、おおらかな人柄と人脈で人類史上最大のプロジェクトを成功させる。一見遊び 人だが、実は誰よりも政治家らしい政治家、チャーリーには男も女も惚れちゃうこと間違いなし。主演は、トム・ハンクス、ジュリア・ロバーツ、フィリップ・ シーモア・ホフマン。フィリップ・シーモア・ホフマンの化けっぷりに注目。『魔法にかけられて』のエイミー・アダムスの可愛らしさにもため息が。監督は、 『卒業』の名匠、マイク・ニコルズ。

下院議員チャーリーは、酒と女が好きなお気楽政治家。しかし、その内面では、平和を愛するゆるぎない心を持ち、ソ連の攻撃に苦しむアフガニスタン を常に気にしていた。国防歳出小委員会がアフガニスタン支援に500万ドルしか用意していない事を知ると、委員会のメンバーである彼は、予算を倍にするよ う指示する。そこに、テキサスで6番目の富豪で、反共産主義者のジョアンが目をつけ、アフガニスタンを救うよう彼に訴える。(作品資料より)
[ 2008年5月17日公開 ]



映画『西の魔女が死んだ』試写会に行ってきました。


★★★★★
 さきほど見てきまして感激しました。

 ロハスを絵に描いたような作品です。
 風のささやき。
 木々のこすれあうざわめき。
 小鳥たちのさえずり。
 小川のせせらぎ。
 まずは冒頭の音でもう魅了されました。
写真
 主人公のまいが登校拒否になって、山のなかのおばあちゃん宅に預けられた時から始まる高原の自然に囲まれた暮らしのシーンでは、まるで登場人物になって森林浴を満喫しているかのような気分になってきました。

 このおばあちゃん、どう見ても外人さん。実はまいのお母さんはイギリス人のおばあちゃんと日本人のお父さんの間に生まれたハーフだったのです。そしててもう一つの秘密。実はおばあちゃんの家系は代々魔女の家系で、おばあちゃんも魔女だったのです。

 あっさり魔女であることを認めたおばあちゃんに、まいは魔女修行を志願しました。ところがこの魔女修行というものは、まか不思議なものを追い求 めるのでなく。むしろ念や呪縛の飛び交う魔法世界にのめり込み、自分を見失わないようにするための精神力を養うことが徹底されていたのです。

 早寝早起き、食事をしっかり摂り規則正しい生活をする。
 人の考えに安易に流されず自分で決断する。
 決断において、直感も大事だが、直感に執着すると失敗するので、こだわらないこと。 
 結局小地蔵流にいえば。仏教の「八正道」と同じことを「西の魔女」は語っていたのでした。正しく見ること。正しく語り、正しく思うこと。正しく 仕事をし、正しい生活を送くること。仏教でも正しい心を見つめるという自己観照を続けていくことで、暴れ馬のような自分の心を自然と律することが出来るよ うになり、やがて精妙になった心に般若の扉が開かれることが謳われております。
 悟りに洋の東西はありません。きっと「西の魔女」は、悟りに向かう道筋を知っていてて、それをまいに伝えようとしたのでしょう。

 その証拠にこんなに深いやり取りが描かれています。 
 まいは、「西の魔女」とのやり取りの中で「魂」というものに興味が湧きます。まいのお父さんは、死んだら、今までどんなにがんばって生き、努力 したことが全部「無」になるのだというのです。まいは、自分が生きてきた事実が全部一瞬で消え去ることに怖さを感じて、ふとんに入って「西の魔女」に質問 します。

 人は死んだらどうなるの?

 「西の魔女」は、答えます。
 この肉体は、いつかは朽ち果てる時が来るけれども、そうしたら魂は肉体という縛りから脱出して、自由になれるの。魂はずっと続いていくのよと。まいは目を輝かせます。いま感じてていることがずっと残るんだ。もっと自由になれるんだと
 そこでまいは、すごくいい質問をするのです。

 じゅあなんで、苦しい思いをしてまで、魂は肉体に宿るの?

 「西の魔女」の名回答。
 魂は肉体に宿ることで、いろんなことを観じたり、体験できるじゃない。経験する
ってことはとても大切なことなのよと。

 ふたりの会話は実はとても深いいのちの真理を解き明かしているのです。
 でもその伝え方は、ゆっくり楽しく!
 映画自体も観客がまいと一緒に、「西の魔女」の価値観に違和感なく馴染んでいくために、ロケ地の清里の美しい風景をふんだんに見せながら、孫と祖母の営みをとても丁寧に描いてて行きました。

 野生のいちご摘み
 おいしいワイルドストロベリーの作り方
 ゆっくり眠れるおまじない。
 そして、「西の魔女」が帰天するときの秘密の約束。

 まいの好きな言葉。それは「おばあちゃん愛してる」とまいがいうと必ず微笑んで「I know」と英語で返してくれること。学校では、周囲に合わせることに気を遣いしすぎて、身も心も疲れてしまっていたまいにとって、このひと言にどんなに 癒されたことでしょう。そのかけがえのない愛おしさ、愛に包まれる歓びをたっぷりと画面を通じて分かち合えることが出来ました。
 こんな優しいおばあちゃんがいて、自然に囲まれる暮らしをしていたら、まいの心が立ち直ってていくことも頷けます。

 でも、ある事件でまいは、「おばあちゃん愛してる」と言えなくなっててしまいます。それがあったから、最後のメッセージで、いつもの言葉に触れるとき、きっとこれを読むあなたも、涙ぽろぽろと感涙してしまうことでしょう。

 決して人ごとではありません。
 やがて三途の川の川岸であなたさまをお迎えする小地蔵からいわせば、この作品でまいが体験し、感じる全ては、みなさんもどこかで共有せざるを得なくなることです。
 あなたさまおひとりおひとりが、悩めるまいなのです。

 流暢な日本語と全身で与える愛を表現した「西の魔女」役サーチ・パーカーはほとんどなりきりモード。主演のまいを演じた高橋真悠も、半年間もか けたオーデションで見つけてきただけに、思春期の感情の起伏が激しい少女をごくごく自然体で演じていて、すごいなぁと思いました。魔女の家の修繕役で活躍 する木村の兄ぃも怪しさを醸し出しつつ、最後は台詞はいい味出てましたね。
 そして、エンドローンの主題歌でもジーンと泣けてきました。ぜひじっくり聞いて下さい。
 清里には、ロケセット「西の魔女の家」が残されているようなので、ぜひ立ち寄ってみたいですね。
 日帰り温泉関東周辺コミュのあいのり温泉企画で提案してみようかなぁ〜。


●Introduction
中学生になったばかりのまいは学校へ行くのが嫌になり、ママの提案でおばあちゃんのもとでひと夏を過ごすことになる。魔女の血筋を引くというおば あちゃんの暮らしは自給自足。野菜やハーブを育て、昔ながらの知恵を活かしながらの生活は、まいにとって新鮮に感じられた。課された“魔女修行”は、早寝 早起き、食事をしっかり摂り規則正しい生活をするというもの。そんな暮らしは、やがてまいの心にも変化を起こさせるのだった…。

長く愛され読まれ続けている児童文学の名著を、静謐で透明感のある映像が特長の長崎監督の手で映画化。本作の最大の見どころは、おばあちゃん=西 の魔女を演じたサチ・パーカー。大女優シャーリー・マクレーンを母に持つ彼女は、幼少期を日本で過ごした経験を持ち、何の曇りもない清らかな日本語を操り ながら、壁にぶつかった孫の悩みを解決していく。魔女というか、天使というか…その存在感に脱帽する。自然と共存するおばあちゃんの暮らしぶりは、我々が 望んでも叶えられない究極のロハス。野に咲く花や木々を揺らす風の音など、細部にまで自然を感じてほしい。主題歌を歌う手嶌葵の透きとおるような声も、作 品にアクセントを加えている。

[ 2008年6月21日公開 ]



映画『春よこい』の試写会に参加してきました。


★☆☆☆☆
 冒頭から、結末が分かってしまうような作品でした。
 ドラマとしては、よくある話で、借金取りともみ合って誤って殺してしまった夫は、そのまま逃走して音信不通。その後の約4年間、気丈に子供を育てながら、夫の帰りを待つ妻に春は訪れるのか?という絵に描いたようなストーリーでした。
 
 だいたい指名手配犯の父親の写真を眺めているところを隠し撮りして、「父さん待ってるよ」というタイトルで地方紙社会面の5段ぶち抜き記事になるもんですか。しかし、このあとの筋の展開でどうしてもこの設定が必要なので、無理矢理そういうことにしているのです。
 逃亡した夫の修治だって、相手の方が先に棍棒もって襲いかかったら正当防衛ですよ。そのまま自首して起訴されても、裁判で無罪を勝ち取る可能性 があったはずです。何故4年間も逃亡生活をしなくてはいけなかったか、結局その理由は明かされずじまいでした。(監督がそうしたかったのでしょう。)
 そして逃亡先で偶然知り合った聡美という夫を亡くしたばかりの未亡人宅に、上がり込んで時々お邪魔する関係になっても、何もなし。「私淋しいの」と女が呟いているのに手を出さない男がいるもんですか。
 むしろここで関係を持ったしまったうえで、修治が家族の元に戻る決断をするという方が話としては盛り上がったと思います。
 主演の工藤由貴が演じる妻好江役も感情が単調でぱっとしなかったです。

 けれども子役のツヨシを演じた小清水一輝はすごい子役です。すでに『ALWAYS三丁目の夕日』シリーズには欠かせないキャラになっていますが、この作品でも父修治に対する思慕の思いを全身で演じていました。主役喰っているぞ!

 あと執拗に修治の帰りを付け狙うハイエナのような安藤刑事を宇崎竜童が個性たっぷりに演じていて印象的でした。安藤刑事はしつこいだけでなく。結構人情派なんですよ。このキャラでスピンオフして、刑事ドラマ作ったら面白いなと思いました。

 一番盛り上がったのは、記者の岡本が、名うての安藤刑事を初め張り込みの刑事たちを偽情報で攪乱させ、まんまと修治とのコンタクトに成功するところは痛快でした。といっても所詮は土曜ワイドショーの乗りでしたがね。

 岡本の妻でツヨシの学校の担任をしている洋子(吹石一恵)なんか、完全にいてもいなくてもどっちでもいいじゃあないのという感じになっていましたから、もう少しこの役も活かしたらなぁって思いましたよ。

 ということで2時間退屈でありました。
 試写会の席もまばら、途中で退場した人まで出ましたね。


●Introduction
唐津市呼子町で漁業を営む芳江。夫の修治は、不慮の事故で借金取りを死なせ、4年間、姿を消していた。父親と息子のツヨシを養うため、芳江は必死 で働いていた。ある日、交番に貼られた指名手配犯の父親の写真を眺めるツヨシの姿が地元新聞に掲載される。その記事が元で噂が蒸し返され、芳江は仕事を休 業に追い込まれてしまう。記事を書いた記者、岡本は責任を感じ、修治を捜し出し、たった1日でも家族の時間を作る事を決意する。

「父ちゃん、今年もまた写真が出るね」。逃亡犯を父親に持つ男の子が、指名手配写真が張り出される時期を知って言った言葉。父を恋しがる息子がも らした、せつない一言である。父を信じる少年の言葉から生まれた至上の家族愛の映画。新聞記者、岡本は、父親が自首する事を期待して、少年の姿を記事にし たが、その記事が元で一家の生活が壊された事実を知る。自分が体験した事のない家族愛を目の当たりにした岡本は、記事の代償として家族のために奇跡を起こ すのである。主演は、工藤夕貴、西島秀俊、時任三郎ほか。ツヨシを演じるのは、『ALWAYS 三丁目の夕日』の名子役、小清水一輝。監督は、『オリヲン 座からの招待状』の三枝健起。
[ 2008年6月7日公開 ]



映画『イースタン・プロミス』試写会に行ってきました


★★★☆☆
 ロードオブリングのアラゴルンがスクリーンに帰ってきました!
 『イースタン・プロミス』の主演ヴィゴ・モーテンセンは本作で、本年度のアカデミー主演にノミネートされた作品で、その抑制のなかに人間味を漂 わせる演技は、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のダニエル・デイ=ルイスと甲乙つけがたいものでした。間違いなくクローネンバーグが新境地を拓いたもの といえます。
 アラゴルン役のモーテンセンもそうだったけれど、彼の演じるのは役はどれもクール。今回は、そのくせ人助けしてしまうという暖かみも併せ持つという二面性のキャラなんです。 
 本作の魅力の一番に来るものといえば、モーテンセンの隠された一面が遺憾なく発揮されているということです。ロンドンに巣くうロシアマフィアの ボスの運転手といえば、強面を連想するけれど、スクリーンの彼は、ボスの命令に背き、逃がしたり、情報を教えたり、結構人に優しい面を見せます。こいつマ フィアにしてはなんかヘンな奴だなと思いきや、やはり裏がありました。その辺の複雑な心理描写を違和感なく表現しているモーテンセンはアカデミー主演にノ ミネートされるだけの価値ある役者であると思えましたね。

 この作品のタイトルは、英国における東欧組織による人身売買契約のことを指します。サウナやマッサージ・パーラーで体を売る約7,000人の娼 婦、うち8割の女性は東欧、バルト海沿岸諸国の出身であるとか。そこには東欧の暴力組織が介在しています。英国地元の暴力組織へと商品のように売られる 「性の奴隷」の存在を描いているという点で、本質は社会派なのかも知れません。
 この作品でも、半ば強制的にウクライナから連れてこされて、薬を打たれたうえレイプされ、あげくの上放り出されて、病院に搬送。子供を生んで息を引き取ってしまう僅か14歳の少女の存在が重く横たわります。
 産み落とした赤ちゃんが、このストーリーの重要ポイントにもなるのですが、それはスクリーンで見てください。
 先進国イギリスの首都でもこんな『人心売買』が横行しているんだよ、きれい事では済まされないよともいいだけなショッキングなシーンが続きまし た。脚本を担当した実際に、犯罪者に会うなどリサーチをした、ロンドンの裏社会の現実はあまりにもグロテスクで凄まじいものだったそうです。郊外の街角 で、当然のように奴隷制が敷かれているのだとか。その奴隷のひとりとして少女の存在を伏線とし、
ロンドンのロシアマフィアの残虐非道な所業をリアルに描くバイオレンス作品となっています。

 とにかく連中は人を殺すことを何とも思っていません、たとえ仲間でも、気にくわないと殺してしまいます。
 問題は殺しの表現がえぐいこと。
 冒頭の仲間のマフィアを殺すシーンでは、床屋で突然のどをかききるシーンかあって、この作品は半端な覚悟で見られないなと示しました。
 そして、殺した死体を冷凍にしたあげく、モーテンセン演じるニコライが身元をばれない処理をして河に流します。
 この処理というのが、死体の歯を抜き、指を切り落とすこと。これが実にリアルで、見るに耐えられませんでした。この作品、このあとの殺しのシー ンは何故かピストルでなくナイフなんです。傷跡も生々しく、剔られていく傷跡に絶句の連続でした。ホントに痛いというほかないシーンが多かったですね。赤 ん坊まで殺そうとしたのですから。
 特に、ニコライが裏切られて、サウナで全裸で暗殺者と素手で戦うところは、ニコライが負う傷跡が生々しく、緊張の連続でした。ちなみにモーテンセンはフリチンで熱演しています。局所も一部見えていました(^^ゞ

 そんなおぞましいマフィアの内情に救いをもたらすのがナオミ・ワッツ看護師のアンナてでした。彼女が死んだ少女から担当した赤ちゃんを何とか救おうと尽力することで、物語は意外な方向へ展開します。
 その中でアンナとニコライの微妙な関係の変化も見所となります。ニコライの人間味に惹かれていくアンナがいだいた疑問は、「あなたは何者?」。アンナが思うのも当然でニコライはも余りにマフィアらしくなく、親切過ぎたのです。
 しかしニコライは、マフィアの正式な構成員として認められ、星の入れ墨を許されます。そしててボスの息子と結託して、組織の支配権を手中に収めようとします。
 果たしてニコライは、計算高いワルなのか、はたまた正義のヒーローの仮の姿か、バイオレンスに満ちたシーンと共にニコライの真の狙いは何かが明らかになることがこの作品のオチになっています。

 全編を通じてクローネンバーグ監督のいぶし銀のような職人技が光る、抑制のきいた作品です。ただラスト時間切れのためか、唐突にストーリーを打ち切りで終えたところに多いに不満を感じました。「そりゃあねぇだろう」とね。
 それでもヘビーな映画通には、ぜひお勧めしたい作品です。見応えはありますよ。


●Introduction
病院で働くアンナの下に、一人の少女が運び込まれる。意識を失くした少女は、女の子を産み落とし、息を引き取る。バッグに入っていた手帳にはロシ ア語で日記らしいものが書かれており、少女がロシア人であることが分かる。手術に立ち会ったアンナは、少女の身元を確認するため、ロシア料理レストランの オーナーに相談すると、自分が日記の翻訳をしようと申し出る。しかし、その後、謎のロシア人、ニコライがアンナに近付き始め…。

デヴィッド・クローネンバーグ監督作品。看護師のアンナは、病院で亡くなったロシア人少女の身元を探そうとする。しかし、それは、ロンドンの裏社 会に存在するロシアン・マフィアの恐ろしい犯罪組織に繋がっていた。主演は、『ヒストリー・オブ・バイオレンス』に続けてクローネンバーグ監督とタッグを 組むヴィゴ・モーテンセン、『キング・コング』のナオミ・ワッツ、『オーシャンズ13』のヴァンサン・カッセルほか。2作続けて同じ俳優を使うことが少な いクローネンバーグ監督が、『ヒストリー・オブ・バイオレンス』のヴィゴ・モーテンセンを起用するとは、余程、意気が合ったと見た。二人のツーカーぶり は、スクリーンに十分現れている。
[ 2008年6月公開 ]



【完全ネタバレ編】映画『ミスト』のラストをどう思いますか?

  本日公開された映画『ミスト』の「映画史上かつてない、震撼のラスト15分」に見た人から衝撃が拡がっています。先日の日記に詳しい概要を書いているので、どんな映画かはそちらを参照して下さい。

 これまでのモンスター・パニック映画やゾンビ映画は、危険エリアを脱出すれば、たいてい主人公は助かります。
しかし、『ミスト』では、違っていました。
スーパーマーケットの生存者たちに生け贄にされそうななかを、脱出組のメンバーはかろうじて、脱出します。その数わずか5名。脱出時の狂信派との戦いで彼らの『教祖』と化したミセス・カーモディを殺害し、何とか抜け出せました。
 霧の中に次々と浮かんでくる外の世界にいた人々はずっと凄惨な状態で殺戮されていました。車の中では、とりあえず安全でしたが、外を見ると宇宙戦争に出てくるような巨大な怪物が複数のし歩いています。当初みた小型の異性物のみではなかったのです。その様相を見ていたデービットたちは、これは間違いなく聖書に出てくる世紀末のジャッジメントディなんだと悟ったことでしょう。
 霧は深く濃く果てなく続き、デービットたちを載せた車は、ひたすら走り続けます。

 やがて車はガス欠をおこし停車。そこに目がけてさっそく異生物が襲いかかってきました。何とか退治したもののキリはありません。しかも遠くから巨大な異性物の足音が近づいてくる音がします。

 観念したデービットたちはここで最終決断をします。車に残された拳銃で自決しようと。しかし残された弾丸は4発。全員自決するには1発足りません。そこでデービットはあとからみんなを追いかけると誓って、拳銃を構えました。遠くデービットの車を写した映像から鈍い銃弾の音がバンバンと4回響きました。
 ところが皮肉なことに、このあとすぐ軍隊が救出にやってきました。そして霧も晴れていきます。その時間にしてわずか5分。その5分を待ちきれず、デビットは最愛のわが子ビリーを自らの手で葬ってしまいました。狂ったように泣き崩れるデビット。ビリーとの、「僕を怪物に殺させないで」の約束を、主人公は守ったつもりでした。
 逆に約束を守らなければこんなことにならなかったという結末に、どんなにか自らを責め立てたことでしょう。

 この作品には、「人々が神に対しいかに傲慢になっているか」というクリスチャン独特のテーマが隠されています。結果的に言えば、神が下した「天罰」は、かくも無慈悲なことだったのでしょうか。カーモディがもしそばにいたら、デービットが信心深ければきっと救われたと語ることでしょう。クリスチャンの方がご覧になったら強くそのことを意識するはずです。

 けれども、われわれ日本人の観客から見れば、ずっとこんな絶望的なシーンを見続けさせられた、デービットの決断をやむなしと思わざるを得ないことでしょう。思いはデービットの一行たちと一緒です。ただその違いは、観客として神の如く5分先まで見ることができたこと。それだけに見終わったときの感情も複雑になるを得ません。
 異生物の手で葬られたのならまだしも、肉親の手で殺される結末には、ただただ絶句するしかありませんでした。
 デービットの悲しみが痛いほど感情移入してしまうため、映画終了後も、重く苦しい感傷がずっと続きました。
 わが子を危機から守るために殺すしかなかったデビットの決断を皆さんはどう思われますか?殺す決断の中に愛することが含まれているため、微妙なんですね。


☆映画『ミスト』公式サイト
 http://www.mistmovie.jp/



映画『アフタースクール』試写会に行ってきました。


★★★★☆
 前作でも凝った脚本が評価され、カンヌ映画祭で4賞を獲得した内田監督が、細部まで作り込まれた脚本をひっさげ、またまた観客を混乱のるつぼをに放り込むためめメガホンを撮りました。
 社会に出てそれぞれ違う世界観を持ってしまった3人の同級生が巻き起こす、大人の放課後の世界。まさにどんでん返しが続き、驚きの展開でした。
 なんと言っても、この作品のメインテーマは、「大人のイタズラ」。内田監督にとってのアフタースクールなんです。本作ではいかに観客をダマかを目的にしたイタズラ心が描かれていくのだから、堪りません(^^ゞ
 何せ冒頭のラブレターを手渡すシーン。そして穏やかな夫婦(らしき)の朝のシーンを、そのまま鵜呑みにしたら、あとでとんでもないくらい、ギャ フンと言わされますよ、コレ。それが後半で見事に、全部ひっくり返ってしまうですから、ラストで放心状態に(>_<)。まるでキツネ狩りのハ ンターがキツネに包まれたような心境となりました。
 エンドロールを終えて、終わったと思いきや、ななっ:なんと突如として、画面にはこの作品のキーマンであるあゆみ母子が写り、その隅にさりげ なく置かれたテレビの画面で流されているニュース番組に、気になるあの人がどうなったか報道されるのですよ。この部分が本作のオチなんで、エンドロール途 中で席を立った人は、あとでこの話を知ったら、悔しがるでしょうね。イケズな監督ぅ〜!
 そして、なにげな〜くちょこんと出てて来るワンカットとそこの登場人物が、あとで重要な伏線で登場してくるのですよ、例えば何気なく街頭で演説している政治家とかね。

 そんなわけで本作の非常に緻密な構成には出演者も戸惑ったようです。
大泉: 『運命じゃない人』を観ていたのでかなり覚悟はしていたんですが、最初はやっぱり難しかったですね。
佐々木: 一度読むだけじゃ理解が及ばず、登場人物の名前と関連性を紙に書き出し整理・分析しました。
堺: 仕掛けがたくさんあって、一度読んだだけでは全部は理解できなかったです。

 本作では、物語が進行していく中で、どんどん登場人物が印象を変えていき、オチに繋がっていくことが重要な部分を占めています。ですから俳優陣には多くの「顔」を求める必要がありました。
 例えば探偵役の佐々木蔵之介には、「世の中の色んなものを見てきた目をしている」という理由でオファーをしたそうです。
 実際に、劇中ではどんなダーティーな仕事でもこなしそうな目つきで、大泉洋が演じる神野を監視していましたね。
 しかし、この一見お人好しかつ真面目一本槍の教師は、実は一筋ならではいかぬ頭脳派だったのです。まんまと探偵を騙しきってしまうという裏表のある役柄に監督も悩みに悩んで大泉に決めたそうです。
 美女と行方をくらまし、探偵やヤクザに追われる身となる大手企業サラリーマン木村役に堺雅人が、虫も殺さぬポーカーフェースで、観客をケムに巻いていました。
 大泉・佐々木・堺の競演は、まさに絶妙なバランスの「同級生」役でしたね。

 ところで、内田監督の作品は、人情描写においても優れていると思いました。
 特にアウトローの探偵と対照的な教師の神野の会話において際だっていました。
 例えば探偵は、神野の余りに世間知らずで生真面目な言動に切れて、学校のなかでしか物事を考えられない奴、少しは放課後のことも勉強しろと罵倒します。
 ところが、終盤ことの顛末が分かって呆然と佇む探偵に、神野が逆襲。探偵のアウトローぶりを「お前がつまらないのは、お前のせいだ」という名台詞を残して、切って落としました。
 このシーン一つとっても、ただ可笑しいだけでなく、内田監督の人間観察の深さを感じます。そして、そして監督の作品でおなじみの“純朴でいい人”に対して、馬鹿にするのでなく、温かくユーモアに満ちた視線で描かれていることに好感が持てました。
 ラストまで見ていただければ、ギミックに満ちた脚本の合間から、滲み出る人情にホロッと涙ぐむ人も出てくることでしょう。
 「アフタースクール」というタイトルに、大人になってどう生きるのという監督のメッセージを感じた小地蔵でした。


●Introduction
母校の中学校で教師をしている神野と、サラリーマンの木村は中学時代からの親友同士。産気づいた木村の妻を、仕事で忙しい木村の代わりに神野が病 院まで送りとどけた。その日、夏休み中だが部活のため出勤した神野のもとに、同級生だという探偵が訪ねてくる。島崎と名乗る探偵は木村を捜していた。若い 女性と親しげにしている木村の写真を探偵に見せられた神野はショックを受け、なかば強引に木村捜しを手伝うことになってしまう。

カンヌ国際映画祭等で数々の映画賞に輝いた『運命じゃない人』から3年。内田けんじ監督作品に、大泉洋、佐々木蔵之介、堺雅人ら人気・実力を兼ね 揃えたキャストが集結した。探偵(もしくは何かを調査、模索する人物)を狂言回し的に配置することを踏襲しながらも、時間軸を少しずつずらしながら、別の 視点で同じシーンを見せることによってパズルを解いていくような痛快なストーリーテリングで見せた前作(デビュー作『WEEKEND BLUES』も同じテイスト)と違い、本作では“信じていたものが一気にひっくり返るような”想像を超えた展開が待ち受けている。内田けんじの作劇術にま んまと騙されてこそ楽しめる痛快作です。

[ 2008年5月24日公開 ]



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